法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドラえもん』大スタージャイアン!?/恐怖のディナーショー

ジャイアンの誕生日SPということで、オリジナルと原作でジャイアン活躍回をアニメ化し、EDもジャイアン版に変更。山口晋が前後ともコンテを切って、映像面でも力が入っている。


「大スタージャイアン!?」は、秘密道具でジャイアンの歌を美しくして回避したところ、たまたま通りがかったTV局のプロデューサーが子供照会番組に起用してしまう……
オリジナル秘密道具「のど自慢アメ」に始まるアニメオリジナルストーリー。脚本は後半と同じく伊藤公志が担当。
使われる秘密道具は、録音した声紋で歌える「声のキャンディー」でも良さそうだが、2005年のリニューアルから2017年のリニューアルまでにも2回アニメ化しているので、重複をさけたのか。
ドラえもん
『ドラえもん』キャンディーなめて歌手になろう/もどりライト - 法華狼の日記
そもそも物語の構造も「声のキャンディー」が登場する原作短編「キャンディーなめて歌手になろう」に似ている。知らないところでジャイアンがTV番組に出演して大惨事になる原作と違うのは、スネ夫に知らされたドラえもんのび太がTV局へ行くところ。そこからジャイアンを止めるための奮闘劇が始まる。
TV局内の描写が適度にリアルで、アニメオリジナルキャラクターのADもかわいらしく、ぎりぎりで危機を回避しようとする奮闘が楽しい。ジャイアンに秘密道具をなめさせる経緯はありがちだが、のび太ドラえもんジャイアンの居場所を知る展開を重ねて、物語の密度を高めているので楽しめた。


「恐怖のディナーショー」は、ジャイアンがみんなのためにディナーショーを開こうとする。しかし押しつけられたチケットを誰も買ってくれず、のび太は途方にくれる……
2009年に映像化*1した短編のリメイク。以前にジャイアンがすごいシチューを作ったエピソード*2が言及されたりする。
物語をジャンルわけするなら、ジャイアンの行動を基点として子供社会が破壊されていくパニックホラーといったところ。ジャイアン自身が心情を変化させるドラマはないし、そもそも営業をのび太たちにまかせて調理をつづけているので出番も多くない。
どちらかというと、友人たちすべてが逃げるなかで、たったひとり戦友になってくれる出木杉のドラマという印象が強い。それをきわだたせるように今回のアニメ化では、のび太たちと出木杉がかたい友情でむすばれる描写をふくらませて、よりドラマチックにジャイアンの脅威が増したのが良かった。それ以前に出木杉を見つけた瞬間*3でCMに入ったのも、あまり好きではない番組構成をうまく活用していて感心した。

*1:『ドラえもん』恐怖のジャイアンディナーショー/のび太もたまには考える - 法華狼の日記

*2:少し前にアニメ化されたが、映像で回想したりはしなかった。『ドラえもん』ランプのけむりオバケ/ジャイアンシチュー - 法華狼の日記

*3:原作ではその頁の最後のコマで、次の頁から出木杉とのドラマが始まる。

くりかえし明記したことをガメ・オベール氏の愛読者に見落とされ、「何か意図的に省略されていることがないか」と疑われている……

疑いをかけているのはid:yamakaw氏で、他の愛読者も私のエントリから情報が欠落しているかのように応じている。

seidenki_mochi氏が紹介しているapricotjaam氏のツイートから、はてなブックマークid:Apeman氏がコメントをしていたと指摘したいことがわかる。


しかし困ったことに私のエントリでも、コメントが拒否される前にApeman氏がはてなブックマークで批判をしていた順序を明記しているのだ……
はてな界隈で人気があったガメ・オベール氏という人物が、何をきっかけに失墜していったかをふりかえる - 法華狼の日記

私が知るかぎりApeman氏が最初にガメ・オベール氏へ批判的なコメントをしたのは、戦犯ゴボウ問題ではなく、靖国問題だった。
2010年の当時に、Apeman氏自身が、論争の発端からガメ・オベール氏の文章を引いて、それぞれの経過をまとめている。
「事実であろうと、なかろうと」PartII - Apeman’s diary

・1月17日、ガメ氏が「ついでに国民のほうは「隣の国がうるせーで、あの死んだにーさんたちが集まってる神社はなかったことにすべ」とゆいだした。」「そーゆーのをゴツゴーシュギというんじゃ、ボケ。」と発言。この「ボケ」はいうまでもなく日本国民の一人たる私にも向けられていることに留意されたい。
・同日、私が「へぇ。それ誰のこと?」とブコメ

次にApeman氏は1月21日、上記とは独立してコメント欄で戦犯ゴボウ問題の根拠について質問しようとしたが、承認されなかったという。

エントリで「発端」という言葉を使ったのはここだけだ。引用のように、Apeman氏自身がエントリにまとめた経緯においても、靖国問題が先にあったことがわかる*1
たとえ「ブコメ」という略語が理解できなかったのだとしても、コメントが承認されなかった以前に衝突があったことは理解できる文章のはずだ。
しかも私は、承認されなかったApeman氏のコメントとガメ・オベール氏の反駁を紹介した後に、靖国問題で衝突していた時系列をあらためて説明している。

ガメ・オベール氏が不特定多数へ「ボケ」と評価し、Apeman氏が「へぇ。それ誰のこと?」と応じた時点で衝突が始まったとはいえるだろう。
しかし、相手の全人格を対象にして批判を始めたのはガメ・オベール氏が先だったし、その表現も罵倒に満ちた攻撃であることも指摘せざるをえない。

最初は「ブコメ」という略語が理解できなかったのだとしても*2、seidenki_mochi氏が説明している。そもそも、seidenki_mochi氏がyamakaw氏の読み落としを指摘しないことが不思議でならない。



ここまではっきり書いていて、コメントが拒否された部分を読めば嫌でも目に入るような位置なのに読み落とされたのだとすると、私にはどうすればいいのかわからない。
yamakaw氏はつづけて私を批判するようなツイートをくりかえして、少なくないリツイートやファボをえているが、読み落としを指摘されている様子がうかがえない。



「見なかったことにする」が良くないことだと考えるのであれば、まず反論の対象をちゃんと見ようとしてほしい……

たしかに私自身の方針としては、相手のアカウントが異なれば別人としてあつかうようにしているし、他での衝突と独立した内容のコメントであれば衝突とは個別に会話することも多い。
しかしガメ・オベール氏の罵倒については、Apeman氏のブコメと比べた上で評価している。むしろ愛読者がガメ・オベール氏の表現を無視しているかのような様子に私は首をかしげている。



この連続ツイートだけは、ある意味で納得感があった。
私としては、緊密な知略や入念な捜査で証拠をつかむ展開こそ光がさして見えるし、不充分な証拠で悪を倒すことを優先する展開は誤認による挫折が待ち受けていないかと恐れてしまう。
『殺人の追憶』 - 法華狼の日記

対してyamakaw氏は、戦犯裁判の根拠が争点になっている話題で、わざわざ「証拠能力の欠ける証拠じゃ俺は有罪じゃないんだぜ」を「いやな感じ」な事例として出した。
あくまで趣味嗜好の話ではあるが、そのように細部の証拠固めを軽視していった延長線上に、先日に批判したような愛読者のふるまいが生まれる危険はないだろうか。
歴史修正主義をApeman氏らが批判した過去を、ガメ・オベール氏の愛読者はApeman氏らの過誤と主張しはじめている…… - 法華狼の日記
見落としは誰にでもあるが、だからといって事実を軽視しない姿勢は忘れないでほしい。

*1:このApeman氏のエントリはapricotjaam氏もつづけて存在を指摘している。jamcat on Twitter: "能川@nogawam = @apesnotmonkeys さん、元記事のガメさんは、過去惨たらしく死んだ日本の若者に対して軽薄な態度を取る現在の日本国民に怒っていると読めるけど、これ、一般的な「日本人はさ~」って話でしょ で、あなたはガメさんに直接個人対個人でクソコメ送ってるわけじゃん… https://t.co/vnIulmqSpl" そこでapricotjaam氏はガメ・オベール氏を擁護するにあたって、「過去惨たらしく死んだ日本の若者に対して軽薄な態度を取る現在の日本国民に怒っている」という解釈で充分だと考えているらしい。しかしApeman氏はその「軽薄な態度」という認識そのものを批判しているので、反論として成立していない。千鳥ヶ淵戦没者墓苑で戦死者を追悼することが軽薄であるといえるだけの理路くらいはapricotjaam氏は示さなければばらない。

*2:yamakaw氏もはてなユーザーなので考えにくいが。

『ジョジョの奇妙な冒険』Adventure.4-皇帝と吊られた男-

インドの街に降り立った空条承太郎一行だが、ポルナレフはひとりだけ因縁の仇と接触していた。しかしポルナレフの対になる能力をもった敵も登場して……


2000年にOVA化された範囲で、要点となる敵が登場。陽射しで灼けた風景を演出するために、全体的に白っぽく飛んでいる色彩設計が印象的。

よくわからないのがスタッフワークで、第1巻*1と同じ古瀬登と二村秀樹の両監督がコンテを担当しているのに、OPで小林孝志が監督としてクレジット。


やや作画のディテールを落としているくらいで、インドの街並みも制作した当時なりによく調べて描いてあるし、光の陰影が重要なエピソードを当時としては完成度が高いデジタル撮影が支えている。
内容もほとんど原作そのままで、いくつかのシチュエーションを飛ばしながらも、衝撃的なシーンで次回に引く。本来ならばアニメ化として良くも悪くも標準的な出来といった感想になるところか。
残念なのは、第3巻*2までと違って、短い話数に長大なロードムービーをつめこむ工夫が見られないこと。原作を引きうつすような描写に終始し、これまで好感触だったテンポの良さが消え去り、週刊連載漫画であったがゆえの原作の設定ミスをていねいにつぶすようなアレンジも見られない。反撃しようのない敵にポルナレフの心身が追いつめられていく展開をじっくり描きたかったのだろうが、それもテンポを殺してしまっている。
原作でこのエピソードまでに登場した複数の敵も、ただ出番を削除されただけ。たとえば、ポルナレフのライバルとしてホル・ホースを位置づけつつ意外な展開を見せたネーナを、原作でも使いあぐねて途中退場した家出少女と一本化するようなアイデアを見たかった。

歴史修正主義をApeman氏らが批判した過去を、ガメ・オベール氏の愛読者はApeman氏らの過誤と主張しはじめている……

約十年前、ガメ・オベール氏をApeman氏が批判するようになった発端を、下記エントリでふりかえった。
はてな界隈で人気があったガメ・オベール氏という人物が、何をきっかけに失墜していったかをふりかえる - 法華狼の日記
戦犯ゴボウ問題という日本の問題を矮小化しかねない都市伝説*1を、実際に記録を読んだようにガメ・オベール氏が語った。Apeman氏が根拠となった資料の実在性をたずねたところ、ガメ・オベール氏がはげしく反発したあげく、虚偽を主張したことが明らかにされた。
それから時間がたった現在まで、Apeman氏を初めとしたガメ・オベール氏への批判者に対して、新たなガメ・オベール氏の愛読者たちが反駁を試みつづけている。


しかし愛読者の反駁を見ていると、事実関係を把握しようという意識が、全体として希薄だと思わざるをえない。
ひとつの例として、2015年からApeman氏のツイッターアカウントの凍結を呼びかけていたcienowa_otto氏は、2019年になってようやく発端となる文章を読んだという。

念のため、冒頭のエントリでふりかえったように、発端となる文章だけならばApeman氏らは強く追及はしていなかっただろう。最初は質問しただけだったし、悪意で流布したとは判断していないかった*2
また、Apeman氏が批判ツイートを連投するようになったのは、ガメ・オベール氏や愛読者の側からApeman氏へリプライをくりかえしてからのこと*3。それをApeman氏の一方的な嫌がらせといえるだろうか。
こうした情報を先日に別の愛読者のエントリ*4にコメントしたが、長文だったとはいえ承認されていない。


さらに愛読者の反駁対象はApeman氏から逸脱して、はてしなく筋の悪い根拠を集めるようになった。事実関係の把握より反駁する材料集めを優先した結果だろうか。
特にひどいのがcoasmono_coacoa氏で、「はてなサヨクウォッチスレッド」を紹介したまでは良いとして*5ホロコースト否定論者が複数人から批判された事例を「ガメさんに対しての行為と同じようなふるまい」と位置づけた。

coasmono_coacoa氏という個人の問題にとどまるならまだしも、その情報をvisionarywinter氏などは「収穫」と評価してしまった。

リンクされているブログを確認すると、執筆しているusausaland氏は冒頭から集団ストーカーの被害を訴えている。その繊細な感覚による評価が「嫌がらせ」の根拠として充分だとは私には思われない。
GROUP STALKING - 非情なる集団ストーカー被害からのサバイバル記 - 能川元一氏からの反論(というより誹謗中傷と暴言)

埋め込みツイートに、あっという間に50程のRTがつく時があったのですが、組織的でなければその様な事にはならないと思います。連携が取れすぎている、という印象もありました。

しかもエントリでusausaland氏を実際に批判している人数は十人にも満たない。逆に発端は第三者とのやりとりをusausaland氏がスクリーンショットして自説を主張したことにあり、つまりusausaland氏自身が「横入り」をしている。
また、usausaland氏はナチスドイツのホロコーストに対して、エントリで「私の様に明確に捏造だという立場の人間」と自認しており、それが批判されている。そのような立場で複数人から批判されることを、はたして「嫌がらせ」と呼べるだろうか。
一般的に、戦争犯罪の否認は批判されてしかるべきだろう。それがホロコーストのように有名な話題であれば、注目されて批判をあびることに誰かの陰謀を見いだす必要はない。
さらにusausaland氏は、日中戦争の百人切り競争が冤罪だと主張するyamamoto8hei氏*6に対して、賛意を示してもいる。

上のツイートにリプライしていた山本平八という方の投稿。この方は能川氏に対してアンチの方のようです。思わず「いいね」を付けたくなりました。

この時点でも、問題はホロコースト否定論にとどまらなくなっている。


事実として、apricotjaam氏という愛読者は、南京事件否定論者や従軍慰安婦問題否定論者の主張を引いて、それに対する批判を「どんな手を使ってもかまわない、ということなのだろうか」と紹介した。

ここでapricotjaam氏は「私は右翼でもネトウヨでもありません」と自認しているが、ならばなぜ戦争犯罪の否定論者の文章を信用できるのか。
それにホロコースト否定論と同じく、戦争犯罪の否認は批判されてしかるべきだろう。それが南京事件のように有名な話題であれば、注目されて批判をあびることに誰かの陰謀を見いだす必要はない。
いや、apricotjaam氏が南京大虐殺を否定することは間違っているとは断言せず、「議論するつもりはありません」という立場を表明しながら南京事件否定論者を自説に援用した時点で、意図はどうであれ南京事件否定論に加担してしまっている。


ホロコースト否定論者をもちだしていたcoasmono_coacoa氏も、apricotjaam氏に呼応して、眞鍋かとり氏という南京事件否定論者をもちだし、Apeman氏が「論破」されて評判を落としていたと主張する。

しかし、いったいどこが「論破」され、どこで「評判」が落ちていたというのか、coasmono_coacoa氏の紹介ではまったくわからない。
まず、いきなり「これだけ信頼できる一級資料、一次資料がないんですから」とコメントした眞鍋かとり氏があしらわれたのは当然だ。Apeman氏のエントリ本文では一次資料が示されていたのだから。
マイ定義と無知をもとに「一次資料」の重視を叫ぶ国会議員 - Apeman’s diary

「一次資料」が大切だと言いながら、なぜ戦後の聞き取りを真っ先に挙げるんでしょうか? せめて『南京戦史資料集』くらい挙げられなかったのでしょうか? その他、戸井田議員が無視しているしこれからも無視するかもしれない資料のリストを青狐さんが整理しておられます。

第十軍の法務部が残した陣中日誌、軍法会議日誌を読めば、実際には殺人や強姦をおかした将兵が「おかまいなし」になっている例がいくつも見つかる(ここのコメント欄参照)のですが、一次史料を重視する戸井田議員はご存じなかったのでしょうか?

なぜcoasmono_coacoa氏はApeman氏の元エントリを示さず、コメント欄の一部をきりとった眞鍋かとり氏のエントリを紹介したのだろうか。
やりとりを見ていくと、少なくとも時系列を誤認していることがわかるし、それによりApeman氏の元エントリを確認していないことも推測できる。

なぜならApeman氏が初めて戦犯ゴボウ問題にふれたのは2006年8月のことであり、2007年3月に論破された結果という仮説は絶対になりたたないのだ。
「ごぼうを捕虜に食べさせて有罪になったB級戦犯」は都市伝説? - Apeman’s diary
また、推測するしかない犠牲者数を厳密に問うことは否定論に通じる加害性をもつということは、Apeman氏はたびたびエントリで指摘していた。
14万人と7万人、30万人と… - Apeman’s diary

しばしば「グレーゾーン」として議論の的になる「敗残兵」「便衣兵」の殺害にしても、自分の国が戦場になった側と他国で戦争をした側とではパースペクティヴがまったく異なる、ということを理解しておくべきだ(被爆の後遺症によって数年後に亡くなった人びとも原爆の犠牲者だ、と日本側が考えるのと同じように)。

「論理」で「犠牲者30万人」の「蓋然性」を否定する数学屋さん(追記あり) - Apeman’s diary

「30万人説否定であって虐殺否定ではない」主張を批判するのは、30万人説を批判するそのしかたが否定論のそれと変わらないからである。
何度か述べてきたことだが、「30万人が犠牲になったと考える十分な証拠はない」ことと「30万人説はまちがっている」こととは異なる。

ちなみに後者のエントリは、眞鍋かとり氏がコメントする数日前に上げられている。そこでApeman氏が犠牲者数を答えなかったことをもって「論破」されたと考えたのはどこの誰だろう。


そして他の愛読者は、こうしたツイートを読んでもリツイートやファボするばかりで、いさめている様子はうかがえない。
それどころか、ShoulderbyShiga氏などは情報を「桶狭間足り得るかも」と喜んで、それを実際に相手の過誤として反駁につかいはじめている。

urotaetaro氏のように、「歴史修正主義*7を批判すべきと主張しながら、戦争犯罪の犠牲者数に答えなかったことを「脆弱」と評するような人物もいる。

こうした愛読者のふるまいは、もはやApeman氏とガメ・オベール氏の対立を超えて、はっきり戦争犠牲者への加害であるといわざるをえない。


ほりおこせばApeman氏も個別には過った発言をしているはずだ。その辛辣な言葉づかいそのものを問題視する人もいるだろう。
しかし愛読者はガメ・オベール氏の主張を信じてか、集団での嫌がらせがApeman氏の問題だと考えて、それを探そうとしている。
結果として、Apeman氏を発端として多くの批判が集まる事例が、おおむね批判されて当然の問題だったという印象を受ける結果となった。
誤解を恐れずにいえば、Apeman氏の批判に明らかな妥当性が見えなければ、はてなユーザーは批判に加わろうとはしないのだろう。
一方、ガメ・オベール氏の愛読者にはそのような抑制が見られない。このままでは、さらにひどい展開になりかねないと懸念しているが……

*1:戦犯ゴボウ問題という都市伝説を疑うことは、BC級戦犯裁判は本当に不当だったのかと懐疑する意味がある - 法華狼の日記

*2:2010-01-23 - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記/はてダ版で「いろいろと尾ひれがついて流布していることは承知していますから、こちらも最初から悪意を疑ったわけじゃありません」とコメントしている。

*3:連投を始める以前の状況を確認するには、たとえばツイッターの検索窓に「@apesnotmonkeys since:2014-09-17 until:2014-09-19」と入力すればいい。何の前触れもなくガメ・オベール氏が被害を訴え、その主張に愛読者が乗ってApeman氏への非難が殺到したことがわかる。同時期にApeman氏がガメ・オベール氏を批判するエントリを上げたのは、あくまでその結果だということも日付から推測できるだろう。3分でわかるガメ・オベールQ&A - Apeman’s diary

*4:ねこびと日記: ゴボウ譚とコミュニケーション能力 (ver1.01)

*5:反駁できそうな情報を集めることを優先すれば読解力を失っていく先行事例として、ガメ・オベール氏の愛読者には良い反面教師になるとは思うが。「はてサ」の「ウォッチ」すらできないウォッチャー - 法華狼の日記

*6:引用分は山本八平を誤記している。

*7:私自身はさまざまな考えにより「偽史」という表現を使うようにしているが、今回は引用の意図もあって、あえてエントリタイトルに用いた。

『世界まる見え!テレビ特捜部』世界は意外な事だらけ○○なのに××SP

スタジオでは意外なものとして、透明な醤油などを紹介。検索してみると、フンドーダイ五葉という会社が今年から発売していたので、それを持ってきたのかな。
来春の創業150年に向け、「透明醤油」を発売。 | フンドーダイのプレスリリース | 共同通信PRワイヤー
しかし記憶では二十年くらい前にはすでに透明醤油が実用化されていた記憶があるが……


「世界の○○なのにXXなスポット」は、世界各地の意外な日常を紹介。家畜目的の豚が繁殖してしまった美しい南の島や、戦時中の不発弾が大量に残るもそれを処理して資材に転用する村など。後者はTVアニメ『BLOOD+』の印象的な1エピソードを思い出した*1
ラクダの移動図書館」は、東アフリカの砂漠地帯でラクダに書籍を運ばせる移動図書館が登場。相手が遊牧民族であるため書籍の貸し出しはできず、識字率が高くないため司書らしく絵本を選んでやったりもする。
また、その村で行ったイラストレーターが、子供たちに絵を描いてやるだけでなく、移動図書館を題材にした絵本を書きあげた結末も印象深い。その若いイラストレーターがパソコンで着色していた情景も、いかにもなアフリカの未開地域という印象をくつがえす興味深さがあった。
「両足を失ったレーサー」は、イギリスで子供部門のカーレースで優勝するような少年が、事故で両足を切断してからの再起を描く。その種年ビリー・モンガーは義足をつけながら最初は思うようにいかず、ライバルの活躍するレースを観戦しながら、レース用シミュレーションで好タイムを叩きだし、やがてレースへ復帰していく。
復帰レースで好成績を残したこともふくめて、標準的なドキュメンタリーといったところ。良くも悪くも視聴者として期待するような内容にとどまった。