約十年前、ガメ・オベール氏をApeman氏が批判するようになった発端を、下記エントリでふりかえった。
はてな界隈で人気があったガメ・オベール氏という人物が、何をきっかけに失墜していったかをふりかえる - 法華狼の日記
戦犯ゴボウ問題という日本の問題を矮小化しかねない都市伝説*1を、実際に記録を読んだようにガメ・オベール氏が語った。Apeman氏が根拠となった資料の実在性をたずねたところ、ガメ・オベール氏がはげしく反発したあげく、虚偽を主張したことが明らかにされた。
それから時間がたった現在まで、Apeman氏を初めとしたガメ・オベール氏への批判者に対して、新たなガメ・オベール氏の愛読者たちが反駁を試みつづけている。
しかし愛読者の反駁を見ていると、事実関係を把握しようという意識が、全体として希薄だと思わざるをえない。
ひとつの例として、2015年からApeman氏のツイッターアカウントの凍結を呼びかけていたcienowa_otto氏は、2019年になってようやく発端となる文章を読んだという。
念のため、冒頭のエントリでふりかえったように、発端となる文章だけならばApeman氏らは強く追及はしていなかっただろう。最初は質問しただけだったし、悪意で流布したとは判断していないかった*2。
また、Apeman氏が批判ツイートを連投するようになったのは、ガメ・オベール氏や愛読者の側からApeman氏へリプライをくりかえしてからのこと*3。それをApeman氏の一方的な嫌がらせといえるだろうか。
こうした情報を先日に別の愛読者のエントリ*4にコメントしたが、長文だったとはいえ承認されていない。
さらに愛読者の反駁対象はApeman氏から逸脱して、はてしなく筋の悪い根拠を集めるようになった。事実関係の把握より反駁する材料集めを優先した結果だろうか。
特にひどいのがcoasmono_coacoa氏で、「はてなサヨクウォッチスレッド」を紹介したまでは良いとして*5、ホロコースト否定論者が複数人から批判された事例を「ガメさんに対しての行為と同じようなふるまい」と位置づけた。
coasmono_coacoa氏という個人の問題にとどまるならまだしも、その情報をvisionarywinter氏などは「収穫」と評価してしまった。
リンクされているブログを確認すると、執筆しているusausaland氏は冒頭から集団ストーカーの被害を訴えている。その繊細な感覚による評価が「嫌がらせ」の根拠として充分だとは私には思われない。
GROUP STALKING - 非情なる集団ストーカー被害からのサバイバル記 - 能川元一氏からの反論(というより誹謗中傷と暴言)
埋め込みツイートに、あっという間に50程のRTがつく時があったのですが、組織的でなければその様な事にはならないと思います。連携が取れすぎている、という印象もありました。
しかもエントリでusausaland氏を実際に批判している人数は十人にも満たない。逆に発端は第三者とのやりとりをusausaland氏がスクリーンショットして自説を主張したことにあり、つまりusausaland氏自身が「横入り」をしている。
また、usausaland氏はナチスドイツのホロコーストに対して、エントリで「私の様に明確に捏造だという立場の人間」と自認しており、それが批判されている。そのような立場で複数人から批判されることを、はたして「嫌がらせ」と呼べるだろうか。
一般的に、戦争犯罪の否認は批判されてしかるべきだろう。それがホロコーストのように有名な話題であれば、注目されて批判をあびることに誰かの陰謀を見いだす必要はない。
さらにusausaland氏は、日中戦争の百人切り競争が冤罪だと主張するyamamoto8hei氏*6に対して、賛意を示してもいる。
上のツイートにリプライしていた山本平八という方の投稿。この方は能川氏に対してアンチの方のようです。思わず「いいね」を付けたくなりました。
この時点でも、問題はホロコースト否定論にとどまらなくなっている。
事実として、apricotjaam氏という愛読者は、南京事件否定論者や従軍慰安婦問題否定論者の主張を引いて、それに対する批判を「どんな手を使ってもかまわない、ということなのだろうか」と紹介した。
ここでapricotjaam氏は「私は右翼でもネトウヨでもありません」と自認しているが、ならばなぜ戦争犯罪の否定論者の文章を信用できるのか。
それにホロコースト否定論と同じく、戦争犯罪の否認は批判されてしかるべきだろう。それが南京事件のように有名な話題であれば、注目されて批判をあびることに誰かの陰謀を見いだす必要はない。
いや、apricotjaam氏が南京大虐殺を否定することは間違っているとは断言せず、「議論するつもりはありません」という立場を表明しながら南京事件否定論者を自説に援用した時点で、意図はどうであれ南京事件否定論に加担してしまっている。
ホロコースト否定論者をもちだしていたcoasmono_coacoa氏も、apricotjaam氏に呼応して、眞鍋かとり氏という南京事件否定論者をもちだし、Apeman氏が「論破」されて評判を落としていたと主張する。
しかし、いったいどこが「論破」され、どこで「評判」が落ちていたというのか、coasmono_coacoa氏の紹介ではまったくわからない。
まず、いきなり「これだけ信頼できる一級資料、一次資料がないんですから」とコメントした眞鍋かとり氏があしらわれたのは当然だ。Apeman氏のエントリ本文では一次資料が示されていたのだから。
マイ定義と無知をもとに「一次資料」の重視を叫ぶ国会議員 - Apeman’s diary
「一次資料」が大切だと言いながら、なぜ戦後の聞き取りを真っ先に挙げるんでしょうか? せめて『南京戦史資料集』くらい挙げられなかったのでしょうか? その他、戸井田議員が無視しているしこれからも無視するかもしれない資料のリストを青狐さんが整理しておられます。
第十軍の法務部が残した陣中日誌、軍法会議日誌を読めば、実際には殺人や強姦をおかした将兵が「おかまいなし」になっている例がいくつも見つかる(ここのコメント欄参照)のですが、一次史料を重視する戸井田議員はご存じなかったのでしょうか?
なぜcoasmono_coacoa氏はApeman氏の元エントリを示さず、コメント欄の一部をきりとった眞鍋かとり氏のエントリを紹介したのだろうか。
やりとりを見ていくと、少なくとも時系列を誤認していることがわかるし、それによりApeman氏の元エントリを確認していないことも推測できる。
なぜならApeman氏が初めて戦犯ゴボウ問題にふれたのは2006年8月のことであり、2007年3月に論破された結果という仮説は絶対になりたたないのだ。
「ごぼうを捕虜に食べさせて有罪になったB級戦犯」は都市伝説? - Apeman’s diary
また、推測するしかない犠牲者数を厳密に問うことは否定論に通じる加害性をもつということは、Apeman氏はたびたびエントリで指摘していた。
14万人と7万人、30万人と… - Apeman’s diary
しばしば「グレーゾーン」として議論の的になる「敗残兵」「便衣兵」の殺害にしても、自分の国が戦場になった側と他国で戦争をした側とではパースペクティヴがまったく異なる、ということを理解しておくべきだ(被爆の後遺症によって数年後に亡くなった人びとも原爆の犠牲者だ、と日本側が考えるのと同じように)。
「論理」で「犠牲者30万人」の「蓋然性」を否定する数学屋さん(追記あり) - Apeman’s diary
「30万人説否定であって虐殺否定ではない」主張を批判するのは、30万人説を批判するそのしかたが否定論のそれと変わらないからである。
何度か述べてきたことだが、「30万人が犠牲になったと考える十分な証拠はない」ことと「30万人説はまちがっている」こととは異なる。
ちなみに後者のエントリは、眞鍋かとり氏がコメントする数日前に上げられている。そこでApeman氏が犠牲者数を答えなかったことをもって「論破」されたと考えたのはどこの誰だろう。
そして他の愛読者は、こうしたツイートを読んでもリツイートやファボするばかりで、いさめている様子はうかがえない。
それどころか、ShoulderbyShiga氏などは情報を「桶狭間足り得るかも」と喜んで、それを実際に相手の過誤として反駁につかいはじめている。
urotaetaro氏のように、「歴史修正主義」*7を批判すべきと主張しながら、戦争犯罪の犠牲者数に答えなかったことを「脆弱」と評するような人物もいる。
こうした愛読者のふるまいは、もはやApeman氏とガメ・オベール氏の対立を超えて、はっきり戦争犠牲者への加害であるといわざるをえない。
ほりおこせばApeman氏も個別には過った発言をしているはずだ。その辛辣な言葉づかいそのものを問題視する人もいるだろう。
しかし愛読者はガメ・オベール氏の主張を信じてか、集団での嫌がらせがApeman氏の問題だと考えて、それを探そうとしている。
結果として、Apeman氏を発端として多くの批判が集まる事例が、おおむね批判されて当然の問題だったという印象を受ける結果となった。
誤解を恐れずにいえば、Apeman氏の批判に明らかな妥当性が見えなければ、はてなユーザーは批判に加わろうとはしないのだろう。
一方、ガメ・オベール氏の愛読者にはそのような抑制が見られない。このままでは、さらにひどい展開になりかねないと懸念しているが……