法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『バーフバリ 伝説誕生』

大河を流れてきた謎の赤子が成長し、シヴドゥという立派な青年へと育ち、巨大な滝を見あげては乗りこえようと挑戦をつづけていた。
やがて試練を乗りこえたシヴドゥは、滝上から流れてきた仮面の主にたどりつく。そして自身の出自に秘められた陰謀を知ることに……


大ヒットした2部作の前編として、2015年に公開されたインド映画。すでに全長版も公開されているが、ミュージカルなどが削除されている短縮版を視聴した。

先に評価の高い後編を視聴していたが、やはり前編を先に視聴しておくべきだと感じた。
『バーフバリ2 王の凱旋』 - 法華狼の日記
ただし、ある一点だけは倫理的に納得しづらく、先に後編を見ておいて良かったとも思った。


後編は、因果が複雑にからみあう皮肉な政治劇から二世代にわたる復讐劇へと移行する。対してこの前編は、文字通りの古典的な貴種流離譚となっている。
もちろん、前編の物語がおもしろくないわけではない。シヴドゥ自身のドラマより父の因縁を語る回想劇が長いという構成のいびつさや、後編で真相を知ってもなお強烈な結末の引きなどの個性もある。回想の結末では偉大さを感じさせる国母が、映画冒頭では名も知られぬ屍になりはてている虚しさもある。
しかし主人公が試練を超えて情報をえていく展開は、良くも悪くもシンプルだ。父バーフバリとライバルのバラーラデーヴァの対決は熱いし、国母自身の子供はバラーラデーヴァという構図は面白いが、その決着は予定調和といっていい。後編へつながる最後の一言を除けば、素直にハッピーエンドの娯楽活劇として楽しめる。


もちろんただ楽しいだけでなく、さまざまな登場人物の行動や因縁が後編への布石として配置されている。
しかしそれよりも前編で重要と思ったのは、前半のイニシエーションで使われる巨大な滝と、後半の舞台となるマヒマシュティ王国。VFXとロケとセットを組みあわせた、映画らしい絵になる情景描写だ。
自由自在な長回しのカメラワークをもちいて、シヴドゥが超えるべき試練の高さと、故郷を離れて旅した苦労の大きさ、さらに政略が争われる王国の重みまでが、説明的な台詞をつかわずに実感的に描写された。
滝の巨大さが実感できるほどシヴドゥが追っ手から逃れられた説得力も増すし、王国の広大さがわかれば謀略をもちいてまで簒奪する動機に説得力が生まれる。もちろん現代的なVFX映画としての魅力も生んでいる。


そうして架空性の高いアクション史劇としては大いに楽しみ、命を救うことの大切さを正面から讃える物語も良かったのだが、ひとつ残念だったのはシヴドゥの女性に対する行動。
仮面の主との望まぬ戦いにさいして、勝手に腰巻をとったり化粧したりするのはいい。「バカ殿様」の芸者遊びのようではあるが、武器で傷つけるよりも相手を輝かせようとするのは、おせっかいに思わなくもないが相対的に平和でいい。
しかし、さすがに女性が寝ているところにこっそり近づいて、何度も勝手に刺青をほどこす*1のは、劇中の時代や文化を考慮してなお限りなく性犯罪に近いのではないだろうか……
後編の性犯罪への果断な対処描写*2を思うと、もし父バーフバリが息子の所業を知れば処刑してしまうのでは?……と思ってしまうほど首をかしげるしかない描写だった。

*1:水中で針をさすようにしていることから、顔料で消せる絵を塗っただけとも考えにくい。

*2:逆に考えると、ひょっとして前編のフォローとして後編に性犯罪への厳しい処罰を正義として描いたのかもしれない。

FGOの天野喜孝絵や、近年のSH@RP絵を見て、ちょっとガクゼンとした

b:id:kanose氏を経由して*1ソーシャルゲームのキャラクターを天野喜孝が描くという企画と、若いゲームファンからの不評について見聞きする。
www.aniplexplus.com

*1:アカウントは消されているが、kanose氏も不評に一定の同意をコメントしている。天野喜孝氏のFate絵、ちょっと手抜きに見える感はある - kanoseのコメント / はてなブックマーク

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『スター☆トゥインクルプリキュア』第8話 宇宙へGO☆ケンネル星はワンダフル!

修理したロケットで宇宙を進んでいた星奈たちは、骨型の星へとたどりつく。そこケンネル星では毛むくじゃらの現地人が住み、偉大な人物の像に畏敬の念をささげていた。
その像に輝きをもたらしているのがプリンセススターカラーペンだと気づいた星奈たちは、わたしてくれるよう現地人にたのむが、すげなく断られる……


脚本は広田光毅で、寓話的なSFとして期待以上によくできていた。
まず現地人にとっては毛が頭部にしかない星奈たちが奇妙に見えるという相対的な文化観がいいし、そのような現地人のありようが定期的に骨が降ってくる星に適応したためと暗示される設定も地味によくできている。その設定によって、一面の骨で埋もれた奇妙な情景が、見ていて面白いだけでなく統一感と生活感を感じさせるのもアニメとして効果的。かつて東映がアニメ化した『銀河鉄道999』を思い出す。
ここで精神年齢が高いがゆえにプリキュアよりも傲岸なプルンスがピックアップされ、まったく毛のない肉体を薬で毛だらけにして現地人とふれあっていく展開も意外でいい。たとえば少女たちが毛を生やした姿を描いても面白かったろうが、このシリーズではあまりドラマにうまくからまない妖精をこのタイミングで物語に組みこむ構成力に感心した。
もちろんケンネル星を襲いに敵幹部がやってきて、戦いを終えてプリキュアがアイテムをもらう結末になる。つまり予定調和なわけだが、敵襲撃から即座にプリキュアが信頼されるわけではない。ちゃんと言葉だけでは信頼されないワンクッションをはさんで、主人公側の行動を受けて心変わりするからこそ、現地人が人格をもったキャラクターに見えるわけだ。

「第5回国際女性会議WAW!/W20」に『プリキュア』の鷲尾天プロデューサーが登壇した報道に、少し悩む

参加したのはパネルディスカッション「多様性を育てるメディアとコンテンツ」で、プロデューサーが立ちあげた1作目から多様性が描かれていたことを受けてのことだという。
プリキュア:“生みの親”鷲尾Pが国際女性会議に 多様性語る - MANTANWEB(まんたんウェブ)

 鷲尾プロデューサーは第1弾「ふたりはプリキュア」について「当時、子供向けアニメは、女の子らしくあることがテーマの作品が多かった。それは違うんじゃないか?と西尾大介監督と話し合っていた」と説明した。

近年の西尾大介シリーズディレクターのコメントでも、登校する黒人少女の絵画「The Problem We All Live With」が引用されたりして、たしかに制作側も意識していたことがわかる。
『アニメージュ』2018年7月号で、プリキュアから派生するように、富野由悠季と宮崎駿の興味深い関係が語られていた - 法華狼の日記

ふたりはプリキュア』の根底にあるのは「日常の中で勇気を出す話」です。たとえばノーマン・ロックウェルの絵画「The Problem We All Live With」(注)のあの黒人の女の子。「学校に行く」というただそのことが、彼女にとってどれほど勇気がいったことか! もちろん、そこまで政治的・歴史的なテーマはなくとも、僕は観た人一人一人が小さな勇気の火種を持ってもらえるような作品を作りたかった。

注=「The Problem We All Live With(共有すべき問題)」
アメリカ全体が人種差別を当然としていた1960年代の絵画。白いワンピースを着た黒人の小学生の女の子がスーツの男性=連邦保安官に囲まれ、たった独りで登校する姿を描いた作品だ。

今期の『HUGっと!プリキュア』に対して、シリーズで特異的に社会問題をとりこんだ作品として反発するような意見も散見されるが、実際はシリーズ初代から政治的・歴史的な文脈が埋めこまれていたわけだ。

しかし鷲尾PDも西尾SDも男性であり、女性自身が主体性をもった作品とはいいづらいし、女性がならぶディスカッションに男性が参加している絵面も過渡期の印象を受ける*1


念のため、シリーズを通してみれば、女性がメインスタッフとして参加した作品も多い。
キャラクターデザインは約半数の作品で女性がつとめ、シナリオをコントロールするシリーズ構成も女性がつとめた作品が複数ある。
監督は現在までTVアニメでは男性しかいないが、劇場版では複数の女性演出家がキャリアをつむ登竜門となった感すらある。
日本の女性アニメ監督 - 法華狼の日記

1980年代まで数人しかいなかったことも事実だが、2000年以降の作品が目立つので、それなりに状況が変わりつつあることも確実だろう。
近年のものを見ると、東映女児向けアニメで劇場版を任されるケースと、新興アニメ会社で若手監督として起用されるケースが目立つかな。


それでは、過去のメインスタッフだった女性がパネルディスカッションに登壇すれば良かったかというと、残念ながらそうならない可能性もあったという悲観的な想像をしてしまい、さらに悩んでいる。
アニメにおいて女性スタッフが前面に出ることはインターネットにおける視聴者の反応が良くなく、さらに社会的メッセージが語られることも反発がしばしばある。教育的な期待がされるはずの女児向けアニメでも例外ではなく、上述のように『HUGっと!プリキュア』では注目のかわりに反発されている状況をあちこちで見聞きした。
もしパネルディスカッションに女性スタッフが登壇すれば、意義のある光景だろうとは思うが、年長の男性が講演するよりも激しい反発が起こった可能性があったのではないか、などと考えている。もちろん杞憂であってほしいし、杞憂な社会をつくるべきだと思うが……

*1:ただし単純に女性が参加すればいいかというと、それはそれで違うだろう。そもそも「WAW!」は安倍政権がかかげる「女性が輝く社会」のために立ちあげられた国際会議であり、社会へ奉仕させるために女性を応援してるという背景は留意せざるをえない。

『カメラを止めるな!』

廃墟でおこなわれているゾンビ映画の撮影風景。それを映しつづけるカメラに少しずつ異変が入りこむ。そしてついに本物のゾンビが現れたかと思いきや……


金曜ロードSHOW!で3月8日に完全ノーカットで放送された作品を録画で視聴。ワンカット撮影をCMで寸断しなかった判断が素晴らしかった。
超話題作「カメラを止めるな!」放送日決定!3月8日(金)テレビ初放送!完全ノーカット!|金曜ロードシネマクラブ|日本テレビ

製作費300万円と超低予算のインディーズ映画として、都内のミニシアター2館で上映がスタート。そこからSNSなどで瞬く間に口コミが拡がり、さらに芸能人や著名人からも大絶賛の嵐を受け、興行収入は30億円を突破、累計350館以上で上映されるなど社会現象を巻き起こし、異例の大ヒットを記録しました。

番組冒頭に監督や出演者が登場。序盤のワンカット長回し撮影をアピールしつつ、その後に新展開があることが予告される。そうでなくても、大ヒットした話題作であるため、ほぼ作品コンセプトに見当がついた状態で視聴した。
しかし作品コンセプトに見当をつけた上でなお、ちゃんと映画として楽しめる作品だった。番組冒頭で出演者が前半ワンカットを我慢して見てほしいと視聴者へたのんでいて、ところどころ実際につたなさを感じたりはしたが、劇中劇のホラー映画としての完成度からして悪くない。


ゾンビ映画というジャンルそのものを作りあげた巨匠によるフェイクドキュメンタリー*1をはじめ、これまでいろいろなPOVホラーを見てきたが、劇中劇『ONE CUT OF THE DEAD』の完成度は上位に入る。
劇中台詞のとおり舞台となる廃墟には雰囲気があるし、廃墟から森へ逃げたり小屋に隠れたりと、ワンシーンなりに情景が変化に富んでいる。人体切断などの特殊メイクも、きちんと実物大のそれを複数用意して、低予算とは感じさせない。ワンカット撮影そのものも、カメラが階段を昇り降りしたりして単調な構図になることをさけている。
尺が短いおかげでゾンビの襲撃が多くてダレないし、劇中劇中劇の男女のやりとりが劇中劇の男女のやりとりで反復されるという構成も美しい。
そして、それなりに劇中劇がよくできているからこそ、つたない部分が印象的に浮かびあがり、その種明かしを再現していく後半に納得感があった。


特にワンカット長回し撮影で問題になりがちな、カメラが誰の視点かという謎解きが良かった。
主観視点であれば、先述のフェイクドキュメンタリーのように撮影者を特異な性格にしなければ、異変に際して撮影を続ける動機が説明できない。客観視点であれば、カメラワークの制限によって撮影者の存在が浮かびあがり、作り物であることを感じやすくなってしまう。
そんな原理的な矛盾に加えて、この映画では劇中人物がカメラを意識している描写があるのに、カメラが存在しないかのようにゾンビがふるまう。
そんな矛盾を、バカバカしい舞台裏で説明していく。しかも主人公たる映画監督の作家としての信念に重なることで、感動的なドラマにも結びつく。
その謎解きの全てが、タイトルにもなった「カメラを止めるな!」という劇中台詞に集約される構造も美しい。

*1:ゾンビ映画の撮影から実際のゾンビ襲撃が始まる導入は似ているが、展開や趣向はまったくの別物。『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』 - 法華狼の日記