法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

日本共産党が武力革命を放棄した後、クーデターを起こさないよう公安調査庁に監視されている組織の話

日本共産党が綱領で武力革命を放棄していないというデマを、弁護士の八代英輝氏がワイドショーで主張して、謝罪に追いこまれた。
八代氏のデマ発言/TBSは謝罪

八代氏は「私の認識は閣議決定された政府見解に基づいたもの」などと正当化。「一方、日本共産党はそれをたびたび否定していることも併せて申し上げるべきでした。申し訳ありませんでした」とのべ、日本共産党綱領に書いていないことを発言した誤りには触れずに「今後はより正確に、バランスに配慮し、言葉に責任を持っていきたい」などと、“バランス”の問題に矮小(わいしょう)化しました。

それでも武装を放棄していない根拠としてつかわれている「敵の出方」論については、共産党職員の紙屋高雪氏が解説していた。
「暴力革命」宣伝のスジの悪さ - 紙屋研究所

 共産党は「あくまで平和的移行を貫きます」とするのだが、「でも軍隊がクーデターを起こすかもしれない危険性は見過ごすわけ?」としつこく言ってくる人がいたのである。

 そこで初めて共産党としては、「いや、そこまでいうなら確かに絶対にないわけじゃない。それは反乱を起こそうとする相手側の次第ではそうなることもあるよ」と認めるわけだ。これが「革命が平和的か暴力的かは敵の出方による。現在の国家権力がたやすく権力を人民に譲渡するとは考えられない」とか「革命への移行が最後的には敵の出方にかかる」とかの表現となる。

そうして武装闘争を放棄*1した1961年の新綱領でも、そのような表現がつかわれたのだという。組織内で見聞している証言もふくめて興味深い説明だ。
現在から考えれば、軍隊がクーデターを起こす可能性よりも、官僚がサボタージュする可能性を考慮すべきだったろう。紙屋氏も指摘しているように。

今や「軍隊がクーデターを起こすかもしれない危険性は見過ごすわけ?」「ミャンマーみたいなことが日本でも起きると思うよ!?」と詰問してくるような左翼は(そして右翼も)いなくなった。

しかし自衛隊が民主的な統治をはなれてクーデターのようなふるまいをする危険性が完全になかったかというと、それもまた違うように思える。


たとえば新綱領と同じ1961年の三無事件は、共産党へ対抗する政府をつくるための元日本軍士官によるクーデター計画だ。自衛隊幹部も勧誘されかけたという*2
kotobank.jp
自衛隊が実際に戒厳令などを視野にいれた三矢研究は1963年、つまり共産党新綱領の直後だ。それを考慮すべき時代だったといえるだろう。
kotobank.jp
1971年には、自衛隊幹部学校のグループ「兵学研究会」が左翼政権が誕生した場合のクーデターを考慮していたという。未確認だが、雑誌『正論』に心情を理解する論評が掲載されたらしい。

2018年、国会近くにいた野党議員の小西洋之氏に対して自衛隊幹部が罵倒して、防衛大臣が謝罪するにいたったことも記憶に新しい。
www.kinyobi.co.jp
今年に入っても、カルト的な思想をもった元自衛官のもとで、私的な戦闘訓練を現職自衛官がおこなっていた問題が明らかになった。
hokke-ookami.hatenablog.com
ひとつひとつの事件は早い段階で発覚して火消しされており、すぐにクーデターに発展するとは思いにくいし思いたくもない。


しかし日本共産党が武力革命を起こす危険性を考えるならば、それ以上に自衛隊がクーデターを起こす危険性があると考えるべきだろう。
単に自衛隊がその実力をもっているというだけではない。
冒頭の閣議決定で言及されたように、公安調査庁の監視対象になっていることが、共産党を危険視すべき根拠のように一部で語られている。
しかし公安調査庁の監視対象は幅広く、右翼的な自衛官もふくまれている。保守派の雑誌『SAPIO』に、公安と自衛隊の心情をそれぞれ理解しようとする記事があった。
警察 「前科」がある自衛隊部隊のクーデターを現在も警戒中|NEWSポストセブン

 警察が自衛隊内部の「右翼的な思想を持つ隊員」をマークするのは、自衛隊に対する根強い不信感があるからだという。

「戦前に発生したクーデター『五・一五事件』では警視庁が襲撃され、『二・二六事件』では警察官5名の殉職者を出しています。警察は現在でも『自衛隊部隊によるクーデター』を警戒している。馬鹿げた話かもしれませんが、“前科”がある以上、可能性はゼロではないと考えているのです」(警視庁関係者)

公安の判断を基準とするならば、共産党と同じように自衛隊も危険視するべきだろう。
もちろん、調査によって危険視すべき情報が見つかったならともかく、調査されていること自体が危険視すべき根拠になるわけがない。
市民ひとりひとりが社会の主体である以上、こうした判断基準を体制にゆだねるべきではない。

*1:その時期については異論があるかもしれないが。

*2:ここでは自衛隊はクーデターに巻きこまれかけた被害者といえるかもしれないし、自衛隊と旧日本軍の連続と断絶はまた議論の余地があるが、共産党が綱領での考慮を求められた「軍隊」という大きなくくりには入るだろう。